シクロクロス世界

2015年2月 6日 (金)

Tabor 世界選手権2015

テレビでターボルの世界選手権を見た。
チェコは非常にシクロクロスの盛んな国で、商業的な敷居の高くなった今でもワールドカップ、世界選手権を開催できる国だ。
Title

コミッセール。地元からはヤノさん。3人のヤノさんの一人だ。(2番は関西、3番は野辺山)
Commisaire

オープニングもエンディングも恐竜。
Kyoryu

スタートラインにはポントーニ 彼のフェースブックには、 「10センチ前にネイスぅ~っ」と書いてあります。
https://www.facebook.com/daniele.pontoni.7?fref=ts

Pontoni

エリート勝者は、20歳のマチュー。解説をした三船さんは、今日は世代交代の試合になると最初に言っていて、すごいと思った。

迷彩色の自転車、長い靴下、膝下のパンツ、乱暴なコーナリング。
日本にも長い靴下の愛好家がいたが、全日本の監督会議で毎年だめだ、だめだと言われ、やめてしまった。
自転車を振り回すのはチェーンが外れるのでやめたほうがよいと思う。
Meisai
Vandepoel
Corner

エンディングは恐竜。
Kyoryu_2



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2015年1月14日 (水)

冬の女王

1998年の1月冬、僕はシクロクロス世界選手権の会場、デンマークのミゼルファートに向かった。今はオーガナイズにお金がかかりすぎてベルギー、ベルギー、ドイツ、ベルギー、オランダ、チェコの順でしかワールドカップ、世界選手権はできなくなったが、この頃はスペイン、イギリス、スイス、デンマーク、スロバキアでも世界選手権があった。ベルギーが弱かった時代があったのだ。

 このときは、フュン島の西の端。ヨーロッパ大陸との境目の町。橋が売り物の町が会場だ。そもそもデンマークは海で分断された島の集まり。どこへ行くにもコペンハーゲンの島から出ないといけない。ミゼールファートはアンデルセンの出身のオーゼンセの島。コペンハーゲンともヨーロッパ大陸ともつながっていない。サーキットは島とヨーロッパ大陸の海峡の島の海辺にある。ガイドブックでは、電車はフェリーで運ぶことになっていた。

 

選手は、どの国も青少年の家のようなコテージが指定の宿舎で(場所はリンク参照)、朝はどの国もみんな一緒に近くの給食センターで食べて、昼夜は自炊だった。川崎にいた妹を飯炊きに連れて行った。

 

成田出発からケチがついた。飛行機の羽が凍結し、青い融雪財を噴霧している。これで出発は1時間遅れた。フランクフルトでの乗り換えは、もちろん遅れた。ルフトハンザは出発したあとだった。団体包括の券なので冷や冷やものであったが、アナウンスの通り、窓口でスカンジナビア航空への振り替え搭乗をしてデンマークへ着いた。

夜遅くにコペンハーゲンに到着。吐く息は白い。もうミゼルファート行きの列車はない。夜は宿舎に入れる予定が崩れたので、空港近くのホテルを手配し、宿舎へは明日行くことを連絡した。ドキドキしながら電話をすると、デンマークの人たちは英語で話してくれた。列車のダイヤを見て夕飯を取ろうとコペンハーゲン駅へ行くと、あらら僕と同じ姿かたちの黄色のモンベルのコートを着た日本人。よかったドッペルゲンガーではない。スポークの土屋 朋子さんだ。まだ生きていられる。駅では明日の朝早くの列車の券を買ったあとなので本来不要なのだが、デンマークの言葉で書いてあるポケット時刻表をもらって帰った。

 

鉄道は地下トンネルがこの年にできていて、列車はフェリーに乗らず、オーデンセの島へはそのまま向かった。座席の上にどこまでの予約とか、空席とかが表示されている。指定席を取らなかったので空席を選んで座った。97-98と書かれた旅行ガイドには次にまたデンマークへ来るとき困らないように、自分でトンネルのことを書き込んでおいた。

ミゼルファート駅には澤田さんが迎えに来てくれた。Japan Sailing teamと書いてあるバン2台をトヨタの現地法人が貸してくれて助かった。僕は迎えに来てもらったけど、土屋さんはどうしているんだろう、と少し思ったりもしたがそのうち忙しくなって忘れた。

試合の前日朝6時。UCIのドーピング検査スタッフが予告なくヘマトクリット採血にやってきた。まだエポ検査が十分でない時代で、ヘマトクリットが50を越えたらペナルティなしで競技を自粛してもらう規定だった。注射は痛くていやなので、なんとか受けずにすむ方法はないものかと当時は考えた。3年後にJADAのDCOになったときにはこのときそう思ったことは忘れることにした。

 

これだけ北なのだから当たり前のように思うが、冷え込みは予想外だったのだろうか、大会委員会が海岸に作った部分のコースは満ち潮が凍ったままのため、前日のデレゲートのインスペクションで内陸にコースを作り直した。直前にコースを変えろと言われた運営も大変だろうが、潮が凍った砂浜に杭が等間隔に刺さっているのを遠目に見て、ここを走るのはいやだなと思った。

 2000年の世界選手権がUCI会議でオランダのセントミシェルヘステルに決まった。日本チームのスタッフのオランダ人は、大変な喜びようであった。何がうれしいのか狐につままれたようで聞いてみると家の近くの町だという。大会にはうちに泊まるといいよと言っていた。実際に2000年はホテルではなく日本チームはお宅にお邪魔して会場へは踏んで行った。すごく安い遠征になった。

 

最終日、エリートの試合が終わると、日本の若い選手もイタリア、スペイン、フランスのコテージのお祭りに出かけた。夜遅くまで騒いでいたものもいたようだ。Y君がスペインチームの帽子をかぶっているので聞いたら日本チームのペナントと交換したという。そういえば、コテージ入り口のペナントの看板がなくなっていた。これは僕がJCFからもらったもので、僕のものだと思っていたのでがっかりした。Y君はイタリアのルカ ブラマティには、日本の挨拶は「マイド」と教えていた。2003年のイタリア・モノポリでは、周回練習中に日本人を見ると 「マイド!と挨拶してくるイタリア人はブラマティだと分かるようになった。僕は終わった機材をパッケージングすることに忙しかったし、ブラマティと仲の悪いポントーニが今は友達だ。

 

帰りは朝4時にバスが迎えに来た。北極星、カシオペアが天上近くにあるのを確認して、僕たちは北にいることを実感。空はきれいに晴れて冷え込んでいた。

 移動は大型バス。箱詰めの自転車を順に積み込み、隙間に座った。島をつなぐ道路の橋はまだなく、バスはフェリーに乗り込んだ。朝は9時少し前にようやく日が昇る。7時半、真っ暗な中、フェリーの喫茶で朝食をとった。支払いはデンマーククローネ。お札には鯛のような魚の絵が描いてある。コペンへ向かうに従い、外は吹雪になった。ああ、ここは冬の女王が住んでいる土地なのだなと思ってコペンハーゲンを発った。

 帰国したらいくつかのカーボンディープリムが割れていた。乗り換え便では荷物は投げられるので嫌いだ。

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2014年12月20日 (土)

シクロクロスのスタート

シクロクロスのスタートの前近代的なところ
スタート前の整列は、テープを張って選手が前に出ないようにします。シマノのコーステープの端切れで、うちの物置にもあるやつがオランダのワールドカップで使われています。


F1サーキットのゾルダーはカウントダウンしますが、ほかはカウントダウンしません。
チェコ・プルゼーニュのワールドカップではいきなりドン!で、選手も、カメラマンもびっくりしています。

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2013年2月 2日 (土)

世界選手権 日程変更、放映変更

日程変更、Jsportsの番組変更の連絡が来た。

日曜から2日間雨でコースが水没するおそれがあるとのこと。

http://www.cxmagazine.com/break-news-elite-world-championship-races-rescheduled-saturday

http://www.cxmagazine.com/louisville-2013-cyclocross-world-championship-course-flooded

ここでは、もう世界選手権、ワールドカップはしないのではないか。

ジュニア2345

女子0100

U230230

男子エリート0430

ストリーミング

http://www.youtube.com/user/ucichannel?feature=watch

Jspo-rts 
2/3 日曜早朝 415Jsports 3
 http://www.jsports.co.jp/cycle/


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2013年2月 1日 (金)

世界選手権 Youtube UCI チャネル

Jsportsでやらないジュニア、U23 、女子はUCI チャンネルでチェックだ。

http://www.youtube.com/user/ucichannel?feature=watch

日本時間2/3 日曜AM1時 ジュニア AM4:30 U23   (現地AM11時、PM2:30)

http://www.youtube.com/watch?v=Jev4Z4KdQAA&feature=plcp

日本時間2/4 月曜AM1時 女子 AM4:30 男子エリート  (現地AM11時、PM2:30)

風引いたぞ。2/3は朝から信州クロスだ。がんばれ>俺。

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2013年1月29日 (火)

ルイビル世界選手権

ケンタッキーで開かれるルイビルでの世界選手権が迫ってきた。

1月29日火曜日からは、ここでマスターズ世界選手権が開かれている。over80なんてクラスもある。日本選手も29日に現地へ向かう。

同じサーキットでは路面保護のため1日に5レースまでしか開催してはいけないという規則は忘れて、1日14レースを楽しもう。1週間、レースは続く。

http://www.louisville2013.com/masters/

http://www.procyclinglive.com/livestream/

Jsports3で2月4日月曜朝4:15が生中継だ。

http://tv.so-net.ne.jp/schedulesBySearch.action?stationPlatformId=0&condition.keyword=%E3%82%B7%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9&submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&index=20

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2013年1月 1日 (火)

みなさん 新年あけましておめでとうございます。

さて、あちらの情報。

ネイスが勝った、アルベルトが勝ったという話でなく、芸能週刊誌的な話題もおもしろい


ルーンハウトの泥沼の試合。ネイスが、酔った少年にビールのコップをぶつけられ(サーキット脇は酔っ払いばかりですからビールの紙コップがサーキットに投げ込まれるのはよくあるようです)、試合中にもかかわらず、自転車を降りて説教をしに行った話。

以前、汚いヤジの客にライダーキックをお見舞いした選手がいたのを引き合いにして、大人の対応だと言われています。リンクはここ

 次の試合では、スタートコールで「あれ、こんなものがポケットに入ってた」とビールを取り出し、おちゃらけています。3番目に呼ばれたチェコのスティバールは大丈夫、いつものボトルで口を湿らせています。リンクはここ

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2012年12月14日 (金)

Jスポーツ ワールドカップ中継始まる

明日からチェコターボルのワールドカップ中継が始まる。

細いタイヤの魅力を堪能しよう。

http://www.jsports.co.jp/cycle/cyclocross/#raceInfo

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2012年5月31日 (木)

韓国シクロクロス連盟発足

530日に韓国のシクロクロス連盟の発足会議がソウルで行われました。

http://www.kccf2012.com/

先立って、26日 土曜にこの協会役員の人5名が来日されました。翌日、川崎で、私がシクロクロス運営、立ち上げの講義をしました。岩手に留学されていたパク ミノさんが通訳です。現在競輪学校に通っています。このあとTOJ東京ステージに移動。屋台で昼食を摂りました。

スポンサーと会長の出資で6月に全国大会をやるようです。

006_3

アジアでの国際試合地位の向上、大陸選手権開催への一歩になるでしょう。

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2012年3月30日 (金)

60分プラス1周

週末はツールドフランドルです。

友人が入院して退屈しているようだ。ネタをひとつ。

1988年 スイスのハーゲンドルフの戦いはルールを変えた。

それまでは、サーキットは短かかった。競技時間は60分を過ぎて最初にゴールラインを越えたときに、最後の1周を告げられる規則だった。

ハーゲンドルフではパスカルリシャールが勝利した。ワインマンチームだったが、サンツアーを使っていたと記憶している。水、泥の全く入らない密封構造のベアリングシステムを売り文句にしていた。

ここでみることができる Super Rare!!! 1988 UCI Professional Cyclo Cross World Championships, Hägendorf

7分00秒まで進めてください。ラスト2周
59分45秒で、先頭のリシャールパスカルは2周回のボードを示され、通過。

7分22秒まで進めてください。
70分15秒(表示は10分15秒)で、コース脇のコミッセールから最終回のボードを示される。

7分50秒まで進めてください。
それから10分23秒して80分の長い戦いは終わった。

4分34秒で止めてください。1位のタイムは1時間20分27秒 2位はアドリー、ブロイ、ツバイフェル、ラベンヌ、リボトン。シクロクロスミーティングが始まった頃、伝え聞いた世界の強豪の名前だ。90分過ぎてもまだ最終走者は来ない。

このあと、60分でちょうどよく試合を終えるように、コミッセールは割り算をしなさいというルールになった。

なお、泥の地獄はおそらく、そのあとのエッセンバッハでもなく、1979年のイタリアSaccolongo の試合だと思う。当時のサイスポに掲載されていた。

河川敷での平坦地が連日の雨で泥になったおかげで、「下り坂を利用して乗車する」ということもなかった。泥沼をひたすら担ぐだけ。5台のバイクを持ち込んだスイスのツバイフェルが勝利。

ウエブでは プロ部門のツバイフェル、アマチュア部門のタノが泥の中を担いでいる

http://www.cyclingarchives.com/coureurfiche.php?coureurid=6960

http://www.cyclingarchives.com/coureurfiche.php?coureurid=13291

この人たちは担いでばっかりだ。ヘルメット、カスクもありません。

 

アランのアルミバイクが出る前は、チャンピオンのクロスレーサーはゲルチョッチだった。
http://www.forzabikes.co.nz/Guerciotti-History.html

乗車スタートできない担ぎ競争では、ピット区間で担ぐものを交換している。

 

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